聖書改ざん箇所修復の試み(2)      ・・・・・・  2014 6 20−

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   ・ 聖書改ざん(改竄)状況のまとめ(再):

     新約聖書   福音書+公同書簡以外   公同書簡   黙示録  総合評価 
 (失われたギリシャ語原典)    ビザンチン型  ビザンチン型  有    ◎
   ルター訳1545年    ビザンチン型  ビザンチン型  有    ○
     KJV (1611)    ビザンチン型  ビザンチン型  有    ○
    NKJV (1982)    ビザンチン型  ビザンチン型  有    ○
  アレキサンドリア写本 ビザンチン型(福音書のみ) アレキサンドリア型  有    ×
    シナイ写本   アレキサンドリア型 アレキサンドリア型  有    ×
   バチカン写本   アレキサンドリア型     無し  無   ××
   現代訳(NIVなど)   アレキサンドリア型 アレキサンドリア型  有    ×
 日本語訳(文語・口語・新改訳(*)等)   アレキサンドリア型 アレキサンドリア型  有    ×

    旧約聖書                底本と 翻訳    評価 
   死海写本    マソラ本文と同一(ただしイザヤ書全文のみ)   ◎  
   マソラ本文    イザヤ書が死海写本と同一のため、全体が信頼されている   ○
    70人訳        (昔のギリシャ語訳・間違いが多い)   ×
     KJV   マソラ本文 (ヘブライ語 → 英語、ただし一部誤訳有り   ○
 現代訳(+日本語訳) マソラ本文(+一部70人訳)(ヘブライ語・ギリシャ語 → 英語・日本語など)   △
   新共同訳   正典はヘブライ語訳、 外典は70人訳   △

     *  新改訳聖書は 脚注に”異本”の表示等がある場合、それの方が正しいことが多いので、改竄箇所を見分けながら読むことができる(ただし KJV等で確認の事)、新改訳の旧約は比較的良い。
     ** もちろん 異端(新世界訳(エホバの証人・ものみの塔)、モルモン書、カトリック・マリア派など)の改竄聖書 は 論外

         対NIVの削除箇所表        戦慄すべき聖書翻訳の実態

        ワードプラネット:英語が KJV (日本語は口語訳×)     シナイ写本の検証

        ヘブライ語(マソラ本文)−英語対訳   google 翻訳 (ヘブライ語 → 英語、日本語など)
         ヘブライ語旧約聖書の台湾語訳         死海写本(イザヤ書1−66章)




  1) ヨハネ3:36

   「36  He that believeth on the Son hath everlasting life: and he that believeth(○) not the Son shall not see life; but the wrath of God abideth on him.」 (KJV)

   「36  御子を信じる者は永遠の命をもつ。御子に従わない者は(×)、命にあずかることがないばかりか、神の怒りがその上にとどまるのである。」(口語訳)
   「36  Whoever believes in the Son has eternal life, but whoever rejects(△) the Son will not see life, for God's wrath remains on him.」(NIV)

  ・・・・・  日本語の訳は、非常に誤解を与える、とんでもない訳です。 アレキサンドリア型の訳では、「行い」によって「義」とされるかのように書いてあります。 しかし、「救い」は、(十字架の片側にいた罪人が救われたように(ルカ23:40−43)、)全く行いによらず、ただ「信じること」のみによります。
  まず、「救い」の土台が 聖霊様によってはっきりした上で、次に、「従っていく」こと、主の召しが発生します。



  2) コロサイ1:14、 Tコリント11:24

   「14  In whom we have redemption through his blood, even the forgiveness of sins: 」 (KJV)

   「24  And when he had given thanks, he brake it, and said, Take, eat: this is my body, which is broken for you: this do in remembrance of me. 」 (KJV)

  ・・・・・ KJVでは、コロサイ1:14で、「血潮を通しての買戻し(贖い)」、 Tコリント11:24では、(聖餐式の)「砕かれた主の御体」、という箇所が有りますが、他の シナイ写本、日本語訳(口語訳、新改訳等)では 削除されています。これは、十字架の記述が弱くされているということです。
  御子イエス様の十字架の「血」によって「買い戻し(贖い)」が完了し、また「罪」が赦されます。罪の赦しは、その時のものだけではなく、現在、過去、未来のすべての罪についてです。
  日々犯してしまう罪については、日々悔い改めます。これは、(毎朝 顔を洗うように)神様との正常な関係を日々保つためです。

  旧約時代には、律法の定めによって、まず「血」によって贖いと罪の赦しがなされ、ユダヤ人には不可欠なものとすぐに分かります。(「祭壇の回りに血を注ぐ」 (レビ1:5)、 「いのちを贖うのは血、 血 = いのち」 (レビ17:11))
  それほど、「血」には 重要な意味を持っています。




  3) イザヤ14:12

  「輝く者(=ヘイレル)。夜明けの子よ。」(○)  ・・・・ HYLL < HLL(ハレル) で、ハレルヤ(主をほめよ):  のように、「賛美する者」の意味があります。 サタンが堕落する前は、ケルブ(位の高い礼拝天使)の長でした。(エゼキエル28:14)
  伝統的な訳の  「Lucifer = ルシファー」(△)(KJV)  (← Lux 光 + fero 運ぶ(ラテン語) という意訳が固有名詞化したもの) は、正しくありません。
  さらに、他の アレキサンドリア型の訳では、このイザヤ書にも”明けの明星(×)”と書いてあり、混同する危険性があります。(この「輝く者」はサタンを表す)

   ⇔ cf. 黙示録2:28(テアテラ)の 「明けの明星を(朝の星を、πρωινο αστρι(=「星」、単数・与格) < αστηρ「星」 = the morning star)」とは、別物。 この場合、「明けの明星」=「イエス様」を表す。


   ・ 「13  こういう人々はにせ使徒、人をだます働き人であって、キリストの使徒に擬装しているにすぎないからである。
     14  しかし、驚くには及ばない。サタンも光の天使に変装するのだから。」 (Uコリント11:13、14)


  


  ・ 創世記3:1   ・・・ 「蛇」は 本来、「魔法・魔術・魅力」の意味。 創造当時の「蛇」は、主のさばきによって「這う」ようになる前だったので 魅力的だった。

   



  4) Tペテロ1:16、 4:7

   「16  Because it is written, Be ye holy(○); for I am holy. 」 (KJV、Tペテロ1:16)

   「16  聖書に、「わたしが聖なる者であるから、あなたがたも聖なる者になるべき(△)である」と書いてあるからである。」 (口語訳)

   ・・・・・・ 日本語訳はすべて、「聖でなければならない」(×)(新改訳) のように、旧約聖書の戒律を、”律法的”に記述しています。(* これが、日本になかなか福音が浸透しない原因の一つでしょう。) しかし、本来の十戒、律法の意味は、「(あなたがたは 私の民であるから、) ・・・ を守るはずだ」 程度のニュアンスを表し、ネヘミヤ、ゼルバベルらによって、バビロン帰還後に成立した”ユダヤ教”の、絶対命令調の解釈は間違っています。 したがって、「(あなたがたは主の民であるから、)聖であるはずですよ」というような訳になります。

  「律法」は、当時の出エジプトのイスラエル人たちが あまりにもかたくなであり、心と耳とに割礼を受けていない人たちだったので、主は、あえて、御使いたちとモーセの手によって明文化されました。
  一方、律法は、異邦人である私たちを、キリストに導くための「養育係」になりました。(ガラテヤ3:24) 律法は、人間的な方法では、誰一人 完全に守ることはできません。「義人はいない。一人もいない。」と書かれてあるとおりです。
  (* ただし、ユダヤ人は 主からみことばを託された民であり、このように厳しく戒律を守ろうとする民なので、死海写本が現在のマソラ本文とほとんど変わっていないように、旧約聖書と伝承が非常に正確に伝わっています。)

  律法を守ることは、「信仰」によって、「聖霊様の中を歩むこと(= Walk in the Spirit (KJV))(ガラテヤ5:16)によって自動的に全うしている、という性質のものです。
  「十戒」の言葉の中にさえも、本来は、主の愛と慈しみがあふれています。律法の全体は、律法自身に含まれている 「あなたの隣人を あなた自身のように愛しなさい。」の一語をもって集約されます。(ガラテヤ5:14、 レビ19:18)
  そして、救われた私たちにとっては、「律法」とは、日々の罪を悔い改めるための”鏡”です。


   「7  But the end of all things is at hand: be ye therefore sober, and watch unto prayer. 」 (KJV、 Tペテロ4:7)

   ・・・・・・ 「in your prayer」(NKJV) のように、「祈りの中で注意深くありなさい」、という訳が正しく、日本語訳の「祈りのために」(新改訳)とはならず、これは本末転倒です。 まず初めに 聖霊様との交わり(祈り)があって、その方の「啓示」によって注意深くあれるのです。



  5) ユダ :23

   「23  And others save with fear, pulling them out of the fire; hating even the garment spotted by the flesh. 」(KJV)

   ・・・・・・ これも、日本語訳ではポイントがずれた、非常に さばき的な表現になっています。 正しくは、「〜ing」となっていて、「 〜 しつつも あわれみなさい。」という意味であり、あくまでも、「save = 救い出しなさい」に中心点があります。

  * ユダの手紙には、モーセの死体について ミカエルと悪魔との論争が書かれてありますが( :9)、これは御使いの長ミカエルの模範的な態度を表していると同時に、黙示録11:3−13 にある「二人の証人」が、その わざの特徴から、このモーセと エリヤ(エリヤも生きたまま 竜巻に乗り 天に昇った)であると考えられています。モーセの体は、終末の時のあかしのために モーセ本人が再度 地上に現れるために、天に保存されていると思われます。(黙示録11:5、6 ・・「3年半 雨を降らせず、水を血に変える」、 ルカ9:30、31 ・・「変貌山で、モーセとエリヤがイエス様と共にイエス様の十字架の死について話していた」、 申命記34:6 ・・「モーセの墓は当時から知られていなかった」


  ・ 伝統的な、書簡の書かれた時期:(* 厳密には、「ユダの手紙」のように 2世紀に付け加えられたと見られる書簡もあります。)

     



  6) 創世記6:2、 6:4

   「2  that the sons of God saw the daughters of men that they were fair; and they took them wives, whomsoever they chose. 」(KJV)
   「4  The Nephilim were in the earth in those days, and also after that, when the sons of God came in unto the daughters of men, and they bore children to them; the same were the mighty men that were of old, the men of renown. 」(KJV)

  まず、4節の 「ネフィリム(H NPLYM = The Nephilim(複数名詞)」を、誤訳だらけの70人訳(セプチュアギンタ)では「巨人」と訳されていて、これは誤訳と考えられます。(* 各地で出土されたという巨大人骨は、ほとんどすべてが まがい物(fake)。当時、「上の水蒸気層」により気圧が3〜4気圧もあったので、(恐竜と共に)ゴリアテ程度の巨漢が生息できたとしても不思議ではないが、正式に化石として公表されているものは皆無。)
  ・ ゴリアテ(Tサムエル17、6キュビト半・2.9m、鎧5000シェケル・57kg、槍の刃の部分600シェケル・6.8kg)
  ・ バシャンの王オグ(申命記3:11、鉄の寝台9キュビト・4m、幅4キュビト・1.8m)
  「神の子ら(sons of God)」 と 「人の娘たち(daughters of men)」 との子孫の一部から発生した ネフィリム(混じったのが全部ネフィリムというわけではない)は、「勇士」で「名のある者たち」だったので、体格だけでなく知的にも優れた 権力のある人たちだったと考えられます。


  では、この2節の「神の子たち」とは誰でしょうか? 「堕落した御使い」という説もありますが、普通に考えるとありえないことと思われます。確かに、人の姿を取って御使いがやってくることもありますが(創世記18:1− ・・ と 2人の御使い、 19:1− ・・ 2人の御使い、 ヘブル13:2)、おそらく、そのような交配は がお許しにならなかったと思われます。
   ・ 「復活の時には、人はめとることも、とつぐこともなく、天の御使いたちのようです。」(マタイ22:30)

  (*** ただし、旧約のヘブライ語で「神の子ら(ベネイ・ハ・エロヒーム)」とは、すべて「御使い」または「堕落天使」を指して言います。(ヨブ1:6、2:1、38:7、 「力ある者の子ら(ベネイ・エイリム)」(詩篇29:1、89:6)、 「いと高き方の子ら(ベネイ・エルヨン)」(詩篇82:6)、  一方、新約では、「アダム」(ルカ3:38)、 「聖徒」(ヨハ1:12) も「神の子」 ・・・ 旧約の例外は「イエス様」のみ。)

  それよりも、
   ・ 「14  あなたは、きょう、わたしを地のおもてから追放されました。わたしはあなたを離れて、地上の放浪者とならねばなりません。わたしを見付ける人はだれでもわたしを殺すでしょう」。
   15  主はカインに言われた、「いや、そうではない。だれでもカインを殺す者は七倍の復讐を受けるでしょう」。そして主はカインを見付ける者が、だれも彼を打ち殺すことのないように、彼に一つのしるしをつけられた。」(創世記4:14、15)

  とあるように、すでに、創世記1:26、27 :第6日に、陸上動物と共に「人間の男と女」を同時に創造され、この子孫たちが、エデンの園のアダムとエバとは別に、最初から大勢いたことになります。( ・・・ セツとカインの妻  cf. エバは アダムの肋骨から造られた。アダムは 神様が直接 創造された「神の子」。)
  そして、アダムとエバからの「原罪」の性質は、子孫のカインと セツ (アベルはカインに殺された) を通して、世界に広がっていったと考えられます。
  ** ネアンデルタール人の骨からのミトコンドリアDNA調査結果によると、ほぼ 現世人と別系統(= 神様が、アダムとエバとは別に創造された人々で、洪水で絶滅した)であることが知られている。2014年1月の報告では、白い肌、赤毛であり 言語・協調運動のDNAが無く、不妊因子あり。体格は良く(165cm、80kg以上、胴長短足)、知能も良く(脳容積大1600cc>1450cc)、追放されたカインが恐れていたことが伺える。 (cf. クロマニヨン人は、Y−DNAの I 型 (+R型)で、完全に現ヨーロッパ人。 因みに、北京原人、ジャワ原人などは完全なサルであり、交配不可能で、ホモサピエンスとの中間種(ミッシングリンク)は存在しない。 初期にラ・シャペローサンで発見されたネアンデルタール人は、くる病のために背が曲がっていたので、一般に”原始人”のイメージが付いた。)


  特に、「神の子ら」である この子孫からの 罪の性質は、ネフィリムたちにも色濃く入って行き、影響力の大きい彼らが跋扈する世界となり、ついには、主が 洪水による世への大きなさばきを宣言せざるを得なくなりました。 当時は、トバルカインより金属加工業、ヤバルの家畜業、ユバルから音楽文化(創世記4:20−22)が発達し、現在考えられている以上に「文明」が発達した時代でしたが、結局、「罪」のためにすべてが台無しになり、大洪水で一気に滅ぼされました。一周期であるはずの 2000年も経たずに(アダムの創造から1656年目)洪水のさばき。 (計算: → 聖書考古学・ノアの箱舟 の下参照 )
  (* 創世記6:3 の、「人の齢は120年」とは、この時から「ノアの洪水」までの残された期間が120年という意味です。=「神が忍耐し悔い改めを待っておられた」期間。(Tペテ3:20))

  この「美しいfairTBT(トヴォト・複・女)」とは、 「良し悪しの知識の木」(創世記2:17)、「人が、ひとりでいるのは良くない。わたしは彼のために、彼にふさわしい助け手を造ろう。」(創世記2:18)、「まことに食べるのに良く」(創世記3:6)と同じで、<「TWB (トーヴ)= 良い、好ましい、楽しい」というような意味です。

  洪水後、ハムがノアに対して罪を犯し、セムとヤペテがそれを覆ったのは、色白・金髪(・・・英語の fair の意味)の遺伝子がヤペテ系に多く、彼らにあった罪の性質の濃度が ハム(黒人・有色系)では濃く、ヤペテ(白人系: 罪が入っていない人の子らとの子孫)が薄かった、という可能性があります。
  そして、イエス様が十字架の死後 よみに下られた時、罪の性質を受け継いでいないで死んだ人々の霊のために 伝道された可能性もあります。(Tペテロ4:19、20)

  また、ネフィリムの生き残りが洪水後もいたとは考えられません。(・・・脱出して”宇宙人”になったという説もある??) 「ネフィリム人のアナク人」(民数記13:32、33)は、背の高い敵のアナク人を伝承のネフィリムにたとえて言っているに過ぎません。


  



  7) 創世記11:7、 18:21

  日本語訳や英語訳では、単数−複数の区別がつきません。 特に、「行って(単数)」「降りて(複数)」の違いは重要で、これは 神の三位一体を表現しています。
  創世記11:7では、が行かれ(単数)、また 降りて行かれ(複数)、言葉を混乱させました(複数)。 また、創世記18:21では(神の三位一体ではありませんが、)と 2人の御使いがアブラハムのところへ降りてこられ、その後は2人の御使いが実際に さばきのためにソドムへ行きました。

  ヘブライ語の表現では、「神」=「エロヒーム(複数名詞)」があり、(単数:「エリ」、「エル」、ex)エルサレム=神の平和)三位一体を暗示する複数性を表しています。
  (類似: 「ケルビム」(「ケルブ」の複数、エデンの園からの追放・いのちの木の守り、 エデンの宝石の間にルシファーがケルブの一つとして造られ、他のケルビムと共にそこにいた(エゼ28:14、エゼ1、10)、 契約の箱の守り(2つの御使い)。 「セラフィム」(イザヤ6:2−4)、 他に「ネフィリム」など。 「HShDYYM ハシュディーム」=「乳房」 > 「EL ShDY エル・シャダイ」=「乳房の神=繁栄・増殖の神」(創世記17:1))

  因みに、混乱された言語は、聖霊様のバプテスマに伴う「異言」によって、再び一つの言語に戻りました。

  


  三位一体の一者だけが 実際に地上に降りてこられ、なおかつ、御心としては 三者の「主」が共に事を成されます。大きな流れとしては、
   (1) 御子イエス様が、十字架と復活の後に天に昇られ、ペンテコステの時から「聖霊様」が下られました。(ヨハネ16:7、14、15)
   (2) 御子イエス様が「再臨」されると、「御霊の賜物」の働きは止みます。(Tコリント13:10) そして、イエス様は、地上の千年王国で「王の王、主の主」として1000年間支配されます。
   (3) 「新天新地」、「新しいエルサレム」以降は、御子イエス様は 御父にすべてを渡します。(Tコリント15:24)




  8) 創世記1:1、2   ・・・・ * ギャップ説は、アーノルド・フルクテンバウム師(メシヤニック)によるが、かなり一般的解釈

  聖書全体の一番初めの、「初めに」(「創造の初め = BREShYT、ベレシート」)の、天地創造のときの記述です。これは、今の天地(天: HShMYM ハシャマイム、地: HERTs ハアレツ)が創造された経緯を表したものです。 それよりも時間的な永遠の最初は、ヨハネの福音書の冒頭 「初め(永遠の初め = αρχη、アルケー(ギ))にことばがあった」(ヨハネ1:1)になります。( → キリストの根源的ご性質 )

  ここで特筆すべきは、創世記1:1 と 1:2以降の間にギャップがあるということです。原典の、ユダヤ教経典の マソラ本文には、1章1節の後に 休止符(ラフィア)=◇◇ が打たれ、これが2節以降とは区別される、独立した一文であることを意味しています。それを忠実に書き起こした聖書のあるものにも、間に、◇◇ が書かれてあります。

  このギャップとは、この天地創造よりも以前に、創造された被造物が存在したことを意味しています。これは、御使い・堕落天使を指しているといわれています。それは、創世記の 第1日目「光 ・・・ シャカイナグローリー(神の栄光)」の創造から、第7日目に 神が休まれる時までに、天使の創造の記述が無いからです。そして、このときにサタンと 天の1/3の御使いの堕落(黙示録12:4)があり、続く 2節では、造られていた以前の世界がカオス状態までさばかれている、といわれています。
  そして、2節以降の「天地創造」は、その回復のわざ = 無秩序から「秩序」へ「再創造」 ということになります。
  ( cf. 1節の、「創造した、BRE(バラー)」という言葉は、無から有の創造と 有から有への創造 の2つの意味があります。この1節の場合、”素材”が無かったので前者です。(この無から有の創造は、ローマ4:17、ヘブル11:3))


  創世記1:2の 「地は形がなく、そして(×)何もなかった(×)。」は、「THW W BHW(トーフー ワ ボーフー)」 すなわち、

   「the earth became without form, now void」 = 「地(ハアレツ、単・女)は、形を成さなくなり((直訳)荒野となり)、今や、空虚(虚無になった。」 ((意訳として、) ≒ 「地は、「カオス状態」になった。」)

という”変化”を表して、それから後が「再創造」であることを裏付けています。 (* W(ワゥ) は 次に続く文があれば and の意、しかし無いので、= now、  HYTH(ハイェター、完了・3・単・女) = became < HYH(ハーヤー、完了・3・単・男、あった、なった)

  つまり、「自分の居るべき所を捨てた堕落天使」(ユダ:6、 Uペテロ2:4)のゆえに、神のさばきによってこのような混沌とした状態(カオス)になったのです。 御使い(=天使)の役割は、霊の世界宇宙全体に特化した働きです。(ex 「火を支配する御使い」(黙14:18)、「水を支配する御使い」(16:5) 他に、ケルビム、セラフィム ・・・ 礼拝天使(サタンはこのケルブ(単数)の立場から堕落し(エゼ28:14)、このとき、サタンに誘惑されて、全天使の1/3が堕落しました。(黙12:4)、 また 一般天使(天使長:ミカエル、また ガブリエルなど)。 このミカエルが サタンと常に戦っています。(カトリック教会の上などでこの戦いがよく見られる)

  座標のある実空間として、第2日目に「大空」という形で造られたのは別物。これには”三次元”という一つの「秩序」があります。 一方、この「トーフー(荒野、殺風景)」、「ボーフー(void、空洞、虚空、虚無)」を単独で用いるのではなく、「トフー ワ ボフー」の3語で「カオス(混沌、無秩序)」(70人訳)を表す可能性もあります。
  ・ 「トーフー」と「ボーフー」がで現れる箇所 ・・・ イザヤ34:11(「虚空」、「虚無」)、エレミヤ4:23(「形もなく、何もなく」) ・・・ この3箇所とも、神の「さばき」を表すのは同じです。ボーフーはこの3箇所のみ。
  ・ 「トーフー」単独で、 「彼は北の天を虚空に張り、地を何もない所に掛けられる。」(ヨブ記26:7)  THW トーフー = 形を成さないもの、虚空  ・・・ ”地動説”の部分
                 「(天と地を)これを形のないものに創造せず、」(イザヤ45:19)、(その他 申命記32:10、Tサム12:21、ヨブ6:18、12:24、詩107:40、イザ24:10、29:21、40:17、40:23、41:29、44:9、45:18、49:4、59:4。)

   * 地に刻まれた主の間接的な示し:「自然啓示」によっても、「死」の形象 −X → 0 (X → ∞) は、エントロピー(乱雑さ)の増大”熱的な死” S → ∞ (t → ∞) によって現れてきます。 霊の最終処理場の「ゲヘナ(=火と硫黄の池)」も、ある意味でこの”乱雑さの増大”の形態を有していて、罪を犯した御使い(=悪霊)を永遠に苦しめる所として、すでに神様によって備えられています。また、救われていない人々の霊も、最後の審判の後、すべてこの池に投げ込まれます。(黙示録20:15)


  また、「闇」=カオス、死、滅び、  「大いなる水(THWM、テホム)」=深淵、深い水、  「(MYM、マイム)」=命の水となりうる水、  「神の霊」=聖霊様(神の第3位格)、  「動いていた(覆っていた)、MRXPT、メラッヘフェト」=震える、羽ばたく、宙に舞う ・・・ ”孵化”の状態

   ・・・・・・ 「神」が 「ことば」を発せられる前に、「聖霊様」が その対象を暖めます。 そして、「エロヒーム・ELHYM」という複数名詞の神(=三位一体の神、特に イエス様=神のことば)が「言葉」を発せられると同時に、(あたかも永遠の昔からあったように、)それが突然、「存在」します。(祈りと信仰の法則)
  (* 「イェヒー オール(光よ、在れ。)」 という 創世記1:3の「光、EWR=オール」とは、 物質光ではなく、「シャカイナ・グローリー(聖光、神の栄光)」のこと  → (転) オーラ(後光、聖光)、 金(ラテン語で オーラム、Au(元素記号))


   




  9) 新約聖書の削除箇所のいくつか:

  下記のみことば(KJV)の 太字の部分が、日本語聖書(文語、口語、新改訳、新共同、ニューバイブル ← 現代訳英語聖書)から削除・改ざんされている部分です。 みことばの中でも 重要なところ(主のご愛と 主権について、 聖霊様に従うこと、 行いと恵みの比較・強調、 罪の悔い改め、 罪・不従順をはっきりさせること、 サタンに対する毅然とした態度、)が、意図的にあいまいにされ、弱くされ、削除されています。
  日本語に正しく訳してみると、ずいぶんイメージが違って見えるほどです。


   ・ 「13  But go ye and learn what that meaneth, I will have mercy, and not sacrifice: for I am not come to call the righteous, but sinners to repentance.」(マタイ9:13)
   ・・・・・ 「13  『わたしが好むのは、あわれみであって、いけにえではない』とはどういう意味か、学んできなさい。わたしがきたのは、義人を招くためではなく、罪人を悔い改めに招くためである。」

   ・ 「17  When Jesus heard it, he saith unto them, They that are whole have no need of the physician, but they that are sick: I came not to call the righteous, but sinners to repentance.」(マルコ2:17)
   ・・・・・ 「17  イエスはこれを聞いて言われた、「丈夫な人には医者はいらない。いるのは病人である。わたしがきたのは、義人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためである。」

   ・ 「55  But he turned, and rebuked them, and said, Ye know not what manner of spirit ye are of.
    56  For the Son of man is not come to destroy men's lives, but to save them. And they went to another village.
」(ルカ9:55、56)
   ・・・・・ 「55  イエスは振りかえって、彼らをおしかりになった。そして言われた。あなたがたは自分がどのような霊的状態にあるのかを知らないのです。
         56  人の子は、人々の命を滅ぼすためではなく、救うために来たのです。そして一同はほかの村へ行った。」

   ・ 「1  There is therefore now no condemnation to them which are in Christ Jesus, who walk not after the flesh, but after the Spirit.」(ローマ8:1)
   ・・・・・ 「1  こういうわけで、今やキリスト・イエスにある者は罪に定められることがない。肉に従って歩むことをせず、聖霊に従って歩むならば。

   ・ 「6  And if by grace, then is it no more of works: otherwise grace is no more grace. But if it be of works, then is it no more grace: otherwise work is no more work.」(ローマ11:6)
   ・・・・・ 「そしてもし恵みによるのであれば、もはや行ないによるのではありません。もしそうでなかったら、恵みが恵みでなくなります。 しかしもし行ないによるのであれば、もはや恵みによるのではありません。もしそうでなかったら、行ないが行ないでなくなります。」

   ・ 「30  For we are members of his body, of his flesh, and of his bones.」(エペソ5:30)
   ・・・・・ 「30  わたしたちは、キリストの体であり、キリストの肉と、キリストの骨である。」

   ・ 「11  In whom also ye are circumcised with the circumcision made without hands, in putting off the body of the sins of the flesh by the circumcision of Christ: 」(コロサイ2:11)
   ・・・・・ 「11  あなたがたはまた、彼にあって、手によらない割礼、すなわち、キリストの割礼を受けることによって、肉の罪のからだを脱ぎ捨てたのである。

   ・ 「6  For which things' sake the wrath of God cometh on the children of disobedience: 」(コロサイ3:6)
   ・・・・・ 「6  これらのことのために、不従順な子らの上に、神の怒りが下るのである。」

   ・ 「14  And the four beasts said, Amen. And the four and twenty elders fell down and worshipped him that liveth for ever and ever.」(黙示録5:14)
   ・・・・・ 「14  四つの生き物はアァメンと唱え、24人の長老たちはひれ伏して、永遠に生きておられる方を礼拝した。

   ・ 「10  Then saith Jesus unto him, Get thee hence(堅い言葉で”この場所から立ち去れ”), Satan: for it is written, Thou shalt worship the Lord thy God, and him only shalt thou serve.」(マタイ4:10)
   ・・・・・ 「10  するとイエスは彼に言われた、「サタンよ、退け。『主なるあなたの神を拝し、ただ神にのみ仕えよ』と書いてある。」」
   ・・・・・ 「Then Jesus said to him, "Get behind me(”下がれ”程度の意味), Satan! For it is written, 'You shall worship the Lord your God, and you shall serve him only.」(World English Bible)




  10) 使徒行伝3:19−26

  日本語訳で、特に意図的な削除箇所がまとまっている箇所です。 これは、ペテロとヨハネによって ユダヤ人宣教が最初に行われた箇所ですが、異邦人向けの意図しかなかったようないい加減な訳になっています。
  下記のみことば(KJV)の 太字の部分が、日本語聖書(口語、新改訳、新共同、ニューバイブル ← 現代訳英語聖書)から削除・改ざんされている部分です。(文語は少しまし、StudyBibleJapanese


   「19  だから、自分の罪をぬぐい去っていただくために、悔い改めて本心に立ちかえり(×)なさい。
    20  それは、主のみ前から慰めの(×)時がきて、あなたがたのためにあらかじめ定めて(×)あったキリストなるイエスを、神がつかわして下さるためである。
    21  このイエスは、神が聖なる預言者たちの口をとおして、昔から(×)預言しておられた万物更新の時まで、天にとどめておかれねばならなかった(×)。
    22  モーセは言った(×)、『主なる神は、わたしをお立てになったように、あなたがたの兄弟の中から、ひとりの預言者をお立てになるであろう。その預言者があなたがたに語ることには、ことごとく聞きしたがい(△)なさい。
    23  彼に聞きしたがわない(△)者は、みな民の中から滅ぼし去られるであろう』。
    24  サムエルをはじめ、その後つづいて語ったほどの預言者はみな、この時のことを予告した。
    25  あなたがたは預言者の子であり、神があなたがたの先祖たちと結ばれた契約の子である。神はアブラハムに対して、『地上の諸民族は、あなたの子孫(△)によって祝福を受けるであろう』と仰せられた。
    26  神がまずあなたがたのために、その僕を立てて、おつかわしになったのは、あなたがたひとりびとりを、悪から立ちかえらせて、祝福にあずからせるためなのである」。(口語訳)


   「19  Repent ye therefore, and be converted, that your sins may be blotted out, when the times of refreshing shall come from the presence of the Lord;
    20  And he shall send Jesus Christ, which before was preached unto you:
    21  Whom the heaven must receive until the times of restitution of all things, which God hath spoken by the mouth of all his holy prophets since the world began.
    22  For Moses truly said unto the fathers, A prophet shall the Lord your God raise up unto you of your brethren, like unto me; him shall ye hear in all things whatsoever he shall say unto you.
    23  And it shall come to pass, that every soul, which will not hear that prophet, shall be destroyed from among the people.
    24  Yea, and all the prophets from Samuel and those that follow after, as many as have spoken, have likewise foretold of these days.
    25  Ye are the children of the prophets, and of the covenant which God made with our fathers, saying unto Abraham, And in thy seed(単数) shall all the kindreds of the earth be blessed.
    26  Unto you first God, having raised up his Son Jesus, sent him to bless you, in turning away every one of you from his iniquities.」(KJV)

   → 
   「19 それゆえ、罪を悔い改め、変えられなさい。それは、主の現れ(再臨)による刷新が来る時に、あなたがたの罪が帳消しにされるためです。
    20 そして神は、以前にあなたがたに宣べ伝えられた イエス・キリストを遣わします。
    21 彼は、万物が改まる時までは 天におられるべき方で、世が始まって以来、神がすべての聖なる預言者たちの口を通して語られた、実にその方です。
    22 それは、モーセが父祖たちに、本当にこのように言っているからです。「主なる神は、ひとりの預言者を、あなたがたの兄弟の中から、私がそうであるように、あなた方の間に高く立てられる。 彼があなたがたに語る全ての事を、聞き入れなさい。」 ・・・@
    23 そして 「どのようなたましいも、その預言者に聞かないならば、民の間から断ち切られる ということになる。」 ・・・A
    24 実に、サムエルをはじめ、その後のすべての預言者たちによって語られたほどに、今のこの日について 同様に予告された。
    25 あなたがたは、預言者たちの子であり、アブラハムに語られている 神が父祖たちとの間に立てた契約 の子である。そして、そのアブラハムの契約とは、「地上の諸民族は、あなたの子孫(種)(単数)によって祝福される」 ・・・B である。
    26 神が初めにあなたがたに対し、御子イエスをお立てになり、すべての人々を邪悪な行いから立ち返らせる過程で、あなた方を祝福するためである。」

  (引用聖句)
  @ 申命記18:15 「15  あなたの神、主はあなたのうちから、あなたの同胞のうちから、わたしのようなひとりの預言者をあなたのために起されるであろう。あなたがたは彼に聞き従わなければ(×)(hearken 聞く、耳を傾ける(○))ならない。」
  A 申命記18:19 「19  彼がわたしの名によって、わたしの言葉を語るのに、もしこれに聞き従わない者(×)(not hearken unto 耳を傾けない(○))があるならば、わたしはそれを罰するであろう。」
  B 創世記22:18 「18  また地のもろもろの国民はあなたの子孫(単数、直訳:seed 、種)によって祝福を得るであろう。あなたがわたしの声に従ったから(×)(聞いたゆえ(○))である。」

     


     ・・・・  この箇所は、ユダヤ人伝道のポイント(モーセの預言、アブラハムの契約)が書かれてあります



  11) 申命記6:5、 レビ記19:18

  これも、4) Tペテロ1:16、 4:7 と同様に、「律法」の箇所も、本来の「聖書ヘブライ語」では、過去、現在、未来形も 命令形も無く、「完了形」、「未完了形」のどちらかです。ここでは「完了形」であり、 「必ず 〜 のようになる」という、未来完了形 (神が語った場合 =預言) と訳されます。

   ・・・・・ * 「完了形」の用法:  単純過去(創世記18:15「笑い」、創世記3:11「食べた」「告げた」、士師記10:10「罪を犯した」)、 預言(イザヤ9:5「与えた」、66:8「had heard 聞いた」、「had seen 見た」)、 宣言・契約(創世記22:16「誓う」、Uサムエル19:30「命じた」、申命記26:3「報告した」)、 記者の解説(創世記10:15「生んだ」)

  この2つのみことば、申命記6:5、 レビ記19:18は、イエス様が、「律法」全体を要約すると、究極的には この2つになる、と言われた 最も重要な箇所です。(マルコ12:29−31)
  これを誤解して、”絶対命令”と解釈しているのが、ネヘミヤ以降のユダヤ教であり、さらに引き継がれて、”律法的な翻訳”の 日本語訳(×)などになっています。(・・・ 未来完了形は、日本語では表現しにくい。 英語では shalt 。)
  これは、「聖霊様」が注がれる時が来て、必ず、これらの「主」の言葉を守ることができるようになる、といったような「予告」の意味があります。


   「5  And thou shalt love the LORD thy God  with all thine heart, and with all thy soul, and with all thy might. 」(KJV、申命記6:5)

   「18  Thou shalt not avenge, nor bear any grudge against the children of thy people, but thou shalt love thy neighbour as thyself: I am the LORD. 」(KJV、レビ記19:18)


  



  12) ローマ10:6−8

  ローマ書の改ざん・削除も、使徒行伝の改ざん・削除と同様に多いです。
  この箇所は、英語訳(KJV)でも、アレキサンドリア訳、日本語訳でも、すべての聖書が間違っている部分です。 6節、7節は、明らかに 申命記30:12、13からの引用で、このヘブライ語からの訳が伝統的に間違ったままになっているためです。

   「6  しかし、信仰による義は、こう言っている、「あなたは心のうちで、だれが天に上るであろうかと言うな」。それは、キリストを引き降ろすことである。(×) ・・・ 誤訳
    7  また、「だれが底知れぬ所に下るであろうかと言うな」。それは、キリストを死人の中から引き上げることである。(×)」 ・・・ 誤訳

  → (6、7節を12、13節にそのまま差し替える ↓)
   「12  これは天にあるのではないから、『だれがわれわれのために天に上り、それをわれわれのところへ持ってきて、われわれに聞かせ、行わせるであろうか』と言うに及ばない。(○)
   13  またこれは海のかなたにあるのではないから、『だれがわれわれのために海を渡って行き、それをわれわれのところへ携えてきて、われわれに聞かせ、行わせるであろうか』と言うに及ばない。(○)

   14  この言葉はあなたに、はなはだ近くあってあなたの口にあり、またあなたの心にあるから、あなたはこれを行うことができる。」(申命記30:12−14)

  このように、ローマ書10:6、7は、8節−の、「みことば、救いが、口にあり、心にある、天や海の向うなどの遠くではなく、すぐ近くにある」ことを言うために、パウロが単純に引用したに過ぎないのです。 そして、次の重要な 「救い」のみことばにつなげます。


   「9  すなわち、自分の口で、イエスは主であると告白し、自分の心で、神が死人の中からイエスをよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われる。
   10  なぜなら、人は心に信じて義とされ、口で告白して救われるからである。」(ローマ10:9、10)







  13) ルカ16:1−13


   8  And the lord commended the unjust steward, because he had done wisely: for the children of this world are in their generation wiser than the children of light.
9  And I say unto you, Make to yourselves friends of the mammon of unrighteousness
(△ → injustice); that, when ye fail, they may receive you into everlasting habitations.
10  He that is faithful in that which is least is faithful also in much: and he that is unjust in the least is unjust also in much.
11  If therefore ye have not been faithful in the unrighteous mammon, who will commit to your trust the true riches?
12  And if ye have not been faithful in that which is another man's, who shall give you that which is your own?
13  No servant can serve two masters: for either he will hate the one, and love the other; or else he will hold to the one, and despise the other. Ye cannot serve God and mammon. 」
 (ルカ16:8−13、 KJV)

  「不正の富(△)」 = 「τον μαμωνα τησ αδικιασ = the マモン ・・・ アラム語) の 不公平(アディキアス)」 ≒ 「この世の富」  であり、「富」は「不正、不義」ではなく 「不公平の、この世的な」 という意味。 「富」そのものが「不正」と言っているわけではありません。

  不正な管理者は、油100バテ(1バテ=37リットル(33リットルとも))を50バテに、 小麦100コル(1コル=370リットル(330リットルとも))を80コルに、証書を書き直させました。差額は、それぞれ 50バテ、20コルで、どちらも価格上はほぼ同じ値段の 約500デナリ(1デナリ銀貨=イスラエルの1日分の賃金)なので、=今の日本円で約500万円相当。
  これにくらべ、1タラント = 60ミナ = 6000ドラクマ = 6000デナリ(=6000万円)なので、大金持ちの主人から見れば、証書を書き直させた額はそれほど大した額ではありませんでした。それゆえ、主人はこのことで僕をほめた(commend 賞賛する)のでした。もちろん、不正をほめたのではなく、富の運用の仕方「抜け目無い、思慮深い、忠実」だったことをほめたのです。その忠実の度合いは、ここまでやって良い、ということです。

  「最小のもの(最低限のものleastminimum = ελαχιστοに忠実(誠実)な者は、大きなこと(多くのもの、much = πολυ)にも忠実(誠実)」(10節)
  「この世の富」に忠実な者に、「まことの富」(「まこと」 = 「τον αληθινο πλουτο = the true riches」 = 「預言・予型が成就することの真実 の富」)が任せられることになります。(11節)

  そして、その上でイエス様は、「富(マモン)」ではなく、「神」に仕えるよう、もう一度言っておられます。(13節)




  14) マタイ17:21、マルコ9:29、使徒行伝10:30、Tコリント7:5


  「断食、fasting あるいは 「祈りと断食、prayer and fasting の欠落(太字部 ↓)。 改ざん写本(アレキサンドリア型)の シナイ写本、バチカン写本等では、「断食」の部分が故意に欠落され、日本語訳(口語訳、新改訳など)でも欠落しています。

   「21  Howbeit this kind goeth not out but by prayer and fasting. 」(KJV、マタイ17:21) ・・・・ アレキサンドリア型では、この1節が丸ごと括弧入り

   「29  And he said unto them, This kind can come forth by nothing, but by prayer and fasting. 」(マルコ9:29) ・・・・ アレキサンドリア型では、「断食」が抜けている

   「30  And Cornelius said, Four days ago I was fasting until this hour; and at the ninth hour I prayed in my house, and, behold, a man stood before me in bright clothing, 」(使徒10:30)

   「5  Defraud ye not one the other, except it be with consent for a time, that ye may give yourselves to fasting and prayer; and come together again, that Satan tempt you not for your incontinency. 」(Tコリント7:5)


  断食する、fast (= 急速、堅く締まった、精進、断食 → breakfast :断食を中止する=朝食) 
  モーセは40日40夜断食してから律法を授与されました。(出3:28)、 ニネベの人たちの悔い改め(ヨナ3:5)、 数日間 民の不信仰の罪の悔い改め(ネヘミヤ1:4)、 終末70週の預言の授与(ダニエル9:20−)、 聖霊様による働きへの召し(遣わされる方も、送り出す方も断食)(使徒13:2、3)、 イエス様ご自身が聖霊を受けられてから 本格的な御働きの前の、40日断食(マタイ4:2) ・・・・・ このように、断食とは、主のことばを受け取る、罪の悔い改め、本格的な働きの臨んで、まず 主の前に自分のたましいを正して、悔い改めること。

  「6  わたしが選ぶところの断食は、悪のなわをほどき、くびきのひもを解き、しえたげられる者を放ち去らせ、すべてのくびきを折るなどの事ではないか。」(イザヤ58:6)
  のように、「解放」 と 「救い」、「霊的刷新」 を目的とする断食を主は喜ばれます。
  特に「この類のもの」(マタイ17:21、マルコ9:29)とは、「幼い時から」 ・・・ (それほど強い者でなくても、)時間が経っているもの、悪霊との関係が強固なもの、 からの解放には断食祈祷が必要です。
  「信仰が薄い」(マタイ17:20)とは、「無いに等しい」という意味。断食の祈りを通して与えられる神の言葉が「」となって 成就していきます。ただし、断食は霊的に敏感にして、偽りの言葉も来るので、断食後に必ず吟味する必要があります。

  敵は、聖書改ざんを通して、この「断食」を葬り去ろうとしましたが、このことによって逆に、「断食祈祷」がどんなに強い祈りであるか、解放に必要なものであるか(祈られる方も)が 強く示されました。
  40日の断食は聖霊様によって特に導かれなければ危険ですが、1-3日程度の断食(水断食=少量の水(+ごく少量の塩)だけ摂る))ならば、安全・手軽に、誰でもできます。(悪習慣からの解放。 また、肯定的な信仰を得て、勝利する。 意志の強化。 癒し、体質改善。) また誰でもするように、(本来の)聖書が推奨しています


   「31  しかし主を待ち望む者は新たなる力を得、わしのように翼をはって、のぼることができる。走っても疲れることなく、歩いても弱ることはない。 」(イザヤ40:31)

   ・・・・ 鷲などの猛禽類は、年を取ると羽が抜け飛べなくなるが、崖っぷちにしばらく何も食べないでぶら下がり、再び羽が生えてくる。これをその生涯のうちに数回繰り返す。



  15) 士師記13:18

   「18  And the angel of the LORD said unto him, Why askest thou thus after my name, seeing it is secret? 」(KJV)
   「18  主の使は彼に言った、「わたしの名は不思議です。どうしてあなたはそれをたずねるのですか。」(口語訳)

  サムソンの父マノアが 主の御使いにその名を尋ねたときの答えですが、原語では PLEY(フェリエイ) = NSY(ニシ) = miraculous、amazing なので、「奇跡」、「驚くべき」、(「不思議」)といった訳の方が良いです。

  ここで、他の 士師たち(ギデオンやデボラなど)に比べて、サムソンだけがなぜ悲惨な生涯を送ったか を考えてみましょう。
   「そこで、あなたはどこから落ちたかを思い起し、悔い改めて初めのわざを行いなさい。」(黙示録2:5)

  士師記14:5で、わざわざ「ぶどう畑」のところに来た時点で、すでに主を試すような慢心があったことを表しています。 さらに、士師記14:9で サムソンは自分が引き裂いた(時間の経った)ライオンの死体に手を触れ、蜜を集めて食べました。これは、ナジル人の誓願の規定 ・・・ 民数記6:1−6 、「死体に近づいてはならない」に反するものでした。 その後、確かに、主が語られたとおりに 彼を通してペリシテ人に対する主の働きが進められていきましたが、サムソン自身は、謎かけ(賭け事)の誘惑、結婚相手の喪失、遊女デリラによる欺瞞、捕らえられ、目をくり抜かれて 獄につながれ 敵の見世物にされ、最期には敵と共に死にました。この悲惨さは、比較的小さなこととはいえ、この時点で、書かれている主のおきてに逆らったからでした。 もしサムソンが最初の罪を犯さなかったならば、主は 別のもっと快適な道筋を用意され、事を成されただろうと考えられます。
  私たちも、主に語られているのに、逆らっていることがある為、主からの恵みと守りを十分に受け取れてないでいる、ということがあるのではないでしょうか?

  ただし、サムソンは「救い」を失ったのではありません。 ⇔ cf. ソロモンは、もはや赦されない領域に行ってしまい、天国を見てきた人々の証言では、いずれも、ソロモン、サウルは天国にいなかった という証があります。
  キリシタンへの悲惨な迫害も、カトリックのプロテスタントへの迫害(日本国内においてもウイリアムアダムスに対し、宣教師たちが執拗に処刑を家康に要求した)、マリア崇拝などの罪、など、故の無いことではありませんでした。

  私たちも、一度 救われた、あるいは、聖霊のバプテスマを受けたことがある、だけでなく、毎日悔い改め、日々 新しくされ、最後まで聖霊様がとどまって下さり、信仰の歩みを全うするようにしなければなりません。 終わりが良ければ、すべて良しです。




  16) 黙示録7:13、14、 ローマ11:26

   「長老のひとりが私に話しかけて、「白い衣を着ているこの人たちは、いったいだれですか。」と言った。 そこで、私は、「主よ(×)。あなたこそ、ご存知です。」と言った。 すると彼は私にこう言った。「彼らは、大きな患難から抜け出てきた者たちで、その衣を 子羊の血で洗って、白くしたのです。」(新改訳)

   「13  And one of the elders answered, saying unto me, What are these which are arrayed in white robes? and whence came they?
    14  And I said unto him, Sir(○), thou knowest. And he said to me, These are they which came out of great tribulation, and have washed their robes, and made them white in the blood of the Lamb.」(KJV)

  24人の長老(黙示録5:8)とは、(いくつか説がありますが、) イスラエル12部族の長たちと、子羊の12使徒 ・・・ 「12人の使徒たちは12の玉座に座り、(霊的)イスラエルの12部族を裁く」(マタイ19:28)であると考えられます。 そして、ヨハネがこの時話をした相手は 12使徒であるヨハネ自身であり、未来の自分に幻で会って話をしたと考えられます。(神様と 神の啓示は 時間を超越した存在です)
  だから、神に対してではないので、「Κυριε < κυριοσ(キュリオス)= lord, master, sir」は、「lord=主」ではなく、「sir、 Mr (一般的敬称)」程度の呼びかけになっています。


  * 「預言者は時間を超越(無視)して、示された順に記述しているだけなので、預言書である黙示録はもともと時間順ではありません。 (cf. 「使徒」は、時間順に螺旋の横から見ることができ、また与えられた啓示をある程度変えていく力を備えています。) さらに、改ざんによって、順番が入れ替わっている可能性があります。 それゆえ解釈は混乱し、間違った解釈は ほとんどがタイミングの捉えのミスによります。 ・・・ 艱難期 前 携挙説(元々女占い師の幻による 伝統的な間違った教理)、 携挙が何月何日に(よくある にせ預言)、 千年王国はすでに来ている(ヒトラーのドイツ千年王国、エホバの証人)、 過去に起こったことである(リベラル)、など。
  また、預言の成就は、人間的解釈ではなく神の霊感のみによるので、人間的には考えられないような成就の仕方もあります。(イザヤ書によるイエス様の事についての成就など。福音書で、使徒たちによって解き明かされるまでは誰も分からなかった。 また、イザヤ書も 時間順はばらばら。)
  黙示録7章という挿入箇所は、大艱難期である13章の前に記述されていますが、内容から明らかに 時間的にその後のことです。 また、小さい巻物の部分(11〜14章)は、大きい巻物の記述への挿入部(7つのラッパと 7つの鉢 の間)です。

  ** 「男の子」(12:5)(=イザ66:7 「子らを産んだ」、cf.「女」=イスラエル) = 「2人の証人・2人の預言者、2本のオリーブの木・2つの燭台(=ゼカ4:3)」(11:3、4) = 「モーセとエリヤ」(ルカ9:30、31) = 「初穂、14万4千人」(14:1、4、 「口に偽りが無い」(=ヨハ1:47))  ととると、時間的には最も単純となってすっきりとする。 小艱難期(3年半・イスラエル)と 大艱難期(3年半・異邦) の中間という時間で合わせると、このように すべて = で結ばれる。( → イスラエルと終末の流れの図 )
    ・ 2人の証人(再来のモーセ、エリヤ)は、彼らと 彼らににつくイスラエル(旧約聖書:律法と預言者)の2つの教会(メシヤニック)であり、このとき最も聖霊様が働かれる時。殉教が、彼らのミニストリーに含まれている。

  *** 「男の子を産んだ女」は荒野へ逃げ、3年半の間養われて主の再臨を待ちます。(黙12:6) 14万4千人とは殉教したメシヤニックの数で、その他に殉教しなかったイスラエルの民 (+ 在イスラエル異邦人クリスチャン)がいます。イスラエルに生みの苦しみとリバイバルが起こるとき、全体的なリバイバルとなって 民の多くがが救われるということが成就します。

  ワードプラネットの ビザンチン型ギリシャ語訳より、
   「και(and) ετσι(so),  ολοκληροσ(whole, entire, total) ο(the) Ισραηλ(Israel) θα(will) σωθει(saved),  οπωσ(as) ειναι(it is) γραμμενο(written)」 (Romans、ローマ11:26)
  = 「そしてそのようにして、 イスラエル全体的に救われるだろう、 書かれているとおりに。」 (ローマ11:26)
   cf. ολα = all、全ての   ・・・・ イスラエルの民の全部が全部救われるのではなく、全体的にリバイバルの時となって、救われるべき人々が救われるという意味。








    (参考)       ワードプラネットは、英語が KJV、        聖書箇所の Photo

             
ヘブライ語(マソラ本文)−英語対訳      ルター訳(1545年)等の古典訳一覧との比較

                 google 翻訳 (ヘブライ語 → 英語、日本語など) ・・・ マソラ本文などからのヘブライ語や文字を貼り付けて入力、単語の英訳でいくつかの候補が下に出る。現代ヘブライ語がメイン
                 ヘブライ語旧約聖書の台湾語訳 ・・・ わかりやすく一語ずつ正確に字義を解説、ただし 漢字のみ、 新約は アレキサンドリア型なので注意



  ●  死海写本の イザヤ書30:26、 9:6、 59:19、20          死海写本(イザヤ書1−66章) 

  死海写本(1947年、ヒルベト・クムラン洞窟で発見)では、BC100〜200年頃の アラム語系ヘブライ文字が用いられています。(C14年代測定、1991、1996) 現在のマソラ本文(ユダヤ教の聖書)とほとんど同じで変わっていない。そのため、現在の多くの旧約聖書ではマソラ本文を底本に翻訳されています。 時々、H(=the)、Wなどが余分に入っている(100文字に5個ぐらい)が、内容的には全く一致している。( ⇔ cf. フェニキア系ヘブライ文字 ・BC800頃 は文字の系統が異なる)

 


 

 

  * イザヤ書59:19は、基本的には終末のさばきを表す(「御口のをもって、(不法の人を)殺す。」(Uテサロニケ2:8)と同じ「息」)が、二重預言として、終末の大リバイバルの預言ともみなすことができる。 東の ”日出る国”(=日本)に対しては、 主の「名誉」のために、奇跡を伴う激しいリバイバルが行われるニュアンス(cf. エゼ36:22、ホセア14:4)。 西の方では、伝統的キリスト教に対する「主の御名」が再び証されることをさす。 いずれも激しい聖霊様の働きが伴い、それが 西から東から、(最終的にはイスラエルに向かって)広がっていく
  ・ NSSHノーセサーは NWSヌース(逃げ去る flee, escape)のpolel態(強意形・受動(or使役))で、 「責める、せきたてる、圧迫する」となり、「主の息が激しく吹き寄せる吹きまくる。」 などと解釈される。 霊・息吹・風 RWXルーハ(女性名詞・単数)、
  * 聖書ヘブライ語動詞の7つの態: 1.Qal(pa’al、パアル)態、基本形 2.Nif’al(nif'al、ニフアル)態、受動形 3.Pi’el(pi'el、ピエル)態、強調形 4.Polel(po'al、プアル)態、強調・受動(使役)形 5.Hiphil(hif'il、ヒフアル)態、使役形 6.Hophal(hof'al、ホフアル)態、使役・受動形 7.Hithpolel(hithpa'el、ヒトパエル)態、再帰・相互形
  ・ 特定の単語: TsRツァールは @狭くなる所、ただしA 敵、 B 困難 とも訳しうる。(KJVでは「敵」と訳している×) アドナイ・イルエ ・・・ 畏怖、恐れ、備え(創22:14)、 アドナイ・ニシ ・・・ 奇跡、しるし、旗(サイン、シグナル)(出17:5) を連想させる。(NSネス・(複数)NYSYMニシム 奇跡、 cf. PLEペレー 不思議、EWTオース しるし)



  ● 「」の御名について:    →  主の御名の関係:

  旧約聖書の「」の御名(旧約聖書で 6859回出る)は、「YHWH、(発音)ヤハウェ (あるいは ヤーウェ、ヤーヴェ)」であり、EHYH(エヘイェー、= I am、 未完了相・1人称・単数・男性、 出エジプト3:14 = ヨハネ8:24、58等)の、 YHYH(イヘイェー)(= he is、 未完了相・3人称・単数・男性)の場合と解釈され、 「彼は 在りて在る方(であり続ける)」 という意味になるといわれています。 cf. HYH(ハーヤー)は完了相・3・単・男
  発音は、ユダヤ教の伝統では、「御名をみだりに唱えてはならない」(第3戒、出エジプト20:7)の曲解から 昔の正しい発音は失われ、「アドナーイ(わが主)」と読まれてきました。 また、イェホワー、ジェホバ、エホバ(この読み方は、正統派のキリスト教会では 異端のエホバの証人を想起させるので 忌避されている)ではなく、 人名の YH = ヤー、 YHW = ヤーフ などから、最初のYの母音は a であり、学術的には 「ヤハウェ」 と読むのが正しいとされています。

   


   § ニクダー(発音記号):

    




   (おまけ)


  (1) 『君が代』 の ヘブライ音訳(預言歌)  → 日本の霊的状況

 

   ・ 6つ(=ShSh)のレムナントの民とは、 ユダ、ベニヤミン、レビ ・・・ 秦氏の”新しい時代”、陸・海ルート、   エフライム、マナセ、+ ガド ・・・ 神武の”古い時代”、陸ルート
   ・ YSh = YShWA = 「イエス」 = ”石”、  YHWH = 「主」 = ”岩”


  (2) 神武天皇の称号:

     

   ・ 神武天皇の称号:  カム ヤ マト イワレ ビコ スメラ ミコト  を、ヘブライ語音訳した一例:
             →    クォーム ヤ メート イヴリート ベコール シューメローン ミーガード (ヤと マト を分ける)


  (3) ヤタの鏡の裏の文字:

   ・ 明治時代に文部大臣・森 有礼(ありのり)が伊勢神宮のヤタの鏡の裏面にある文字を発見し、青山学院の左近義弼博士やGHQのある将軍もそれを見、元海軍将校・矢野祐太郎氏がそれを写し取ったという図が 下記です。その後、昭和55年1月8日に、元皇宮警察署署長であり元関東警察学校校長の仲山順一氏の取り計らいで、高坂和導(こうさかわどう)氏(『超図解・竹内文書U』(徳間書店))は三笠宮殿下(昭和28年(1953年)から調査、昭和29年にはこの文字のことを新聞に投稿)に対し、無事に写しを渡すことができました。
  円内の文字列は、森 有礼氏が言うような「エヘイェ・アシェル・エヘイェ」(出エジプト3:14)でも、他の研究者による”ヒフ文字”(存在が疑わしい)でもなく、BC1世紀ごろのアラム語系ヘブライ文字が変形したもので、「光の主(オール・ヤハウェ)」とする 久保有政氏の説が正しいと思われます。(Bに似た文字は古い文献で、=アレフの物が存在するそうです。) これは、すなわち、=”天照大神”の本来の意味としてマッチングします。(一方、外側の文字列は、ギリシャ語の変形(筆記体)とも言われ、未だ解読されていません。もちろん、BC15〜10世紀の原カナン文字(象形文字の一種)やウガリット文字(楔形文字)などではありません。それよりは時代が新しいもののようです。)

 


  (4) クマソ、 ツチグモ、 エミシ:

  ヤマトの豪族についていた 渡来のヘブライの民は、朝廷に敵対する勢力を 聖書の、 モアブ人の偶像「ケモシュ」、エドム人の「トシュウェイ グーマー(直訳ではない)」、「エブス人」になぞらえて命名した。 因みに、ケモシュはクマソと全く同様の伝承を持つ。( → 初期の天皇の系譜について(3)* )
   ケモシュ(KMWSh) → クマソ(熊襲)、  トシュウェイ グーマー(TShWY GWMH) → ツチグモ(土蜘蛛)、  イェヴーシー(YBWSY) → エビス → エミシ(蝦夷)

  また、アイヌ(蝦夷)に対する侵略の罪を悔い改める祈りの集会で、金の奇跡が起こりました。(→ 金粉の奇跡

  


  (5) かごめかごめ:

  ヘブライ語訳の可能性の一例:  ”かごめ かごめ  かごの中の鳥は いついつ である  夜明けの晩に  鶴と亀が滑った 後ろの正面 だあれ

 

  ・・・・ 日本に隠されている 契約の箱のレプリカを 取り出して、主を証せよ。 (偶像は捨てなさい。) 霊的な荒地を 人が住めるようにしなさい。 といったような意味?





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